増木の生い立ち

HISTORY

当社の主義・モットー

新座菅沢八幡神社

誠実、勤勉、奉仕が歴代不変の鉄則で御座います。

お客様各位に対し心にもないお愛想や御接待は間違っても申し上げません。味も素気もない肌合いで御座いますが、御取引願ってから日時が経つにつれて本当の味が出るよう心掛けて居ります。幸いお客様各位の温かい御理解に依り、皆様方異口同音にそのようにおっしゃって頂き、意を強うして居る次第で御座います。

冗費や無益な宣伝費、接待費等はすべて削除して、其の分をそっくりお客様各位の負担減と致します。お客様各位の御しあわせのはね返りがすべて当社の純利益と心得て居ります。

誠実、技術、材質の三ツ主義で勝負する当社に何卒お客様各位の温い御支援、御鞭撻のほど切にお願い申し上げます。

四代目増田木材有限会社 代表取締役 増田眞太郎~

当社の生い立ち

初代増田市五郎が、明治初年武州入間郡柳瀬村(現在所沢市柳瀬)の増田宗家(現在も農業を営んで居ります)より、現在地に分家増田屋を名乗り薪炭・木材の生産や雑貨の商いを開き、二代政五郎木材の生産、建築請負を促進、三代目健治之を継承拡大し、終戦後法人組織に改め、不尚私四代目が現在で御座います。

大正も終わり頃までは当地方も本当に武蔵野の原野で、特有の雑木林は勿論のこと、赤松や杉、欅等の巨木が林立し本当にみどり濃き平和境で御座いまして、野うさぎや野鳥の楽園で御座いました。孫を可愛がる祖父の背に私は負ぶわれて、伐採現場の山廻りに喜んで連れて行って貰った思い出が憶しく昨日のように思い出されます。

当地方の方々には増田屋と呼ばれ親しまれて居ります事は真に光栄に存じて居ります。 昔はオノ、鋸、馬車、木挽、現在はチインソー、ウインチ、トラック、自動製材機と変わりましたが、木材の生産、家屋の建設を一筋に歩んで参りました道だけは同じで昔も今も変って居りません。

~四代目増田木材有限会社 代表取締役 増田眞太郎~

マスダニュース 1988秋号

まだ、増田木材有限会社だった頃の『マスダニュース』(現在の増木通信の前身です)からの抜粋です。

空間を利用した「ゆとり」の3階建住宅 ~A様宅~

思い切って新築に

志木市にお住まいのA様ご夫妻。 去年の9月に完成したばかりのお宅は、ホワイトサッシがモダンな洋風の3階建です。
当初は増築の予定でしたが、マスダの勧めで新築になさいました。

「費用に極端な差がなければ、いっそ新しく建て直したほうが、住み心地もずっと良くなると考え、マスダさんにお任せしました。」
「お客さまがゆったりとくつろげて、しかも我が家の明るく楽しい雰囲気を感じ取ってもらえれば嬉しいですね」と語るAさんご夫妻に新しいお宅の感想をお聞きしました。

ゆったり設計

「とにかくもっと広い、ゆったりとした家が欲しかったんです。」とおっしゃるA様ご夫妻。
現在のお宅は、建坪が45坪。以前に比べて2倍近くの広さになりました。

  • ・圧迫感を感じさせない玄関の吹き抜け。
  • ・2間続きの書院風の和室。
  • ・読書や昼寝が楽しめる広縁。
  • ・広々としたL字型のバルコニー。

すべてA様ご夫妻の希望と取り入れた、ゆとりのある設計になっています。
「和室など、普段はほとんど使いませんが、ただ『ある』というだけで、心に余裕が出てくるのです。
そういった意味での『ムダ』も家づくりに必要なのでは・・・」とご主人はおっしゃいます。

夫婦それぞれのプライベートルーム

A様ご夫妻のたっての希望は、それぞれが個室を持つことでした。
ご主人は書斎を、奥様は趣味の部屋を。

「書斎といっても読書部屋でなく、ひとりになれる空間が欲しかったんです。
家内の友人が多勢おしかけてきたときなど、避難所にもなりますし・・・(笑)」とご主人。

「私は人形作りや、盤景(土をこねて風景をかたどり、色を付けたもの)が趣味なので、作業場兼物置が必要でした。
趣味専用の個室だといちいち片づける手間が省けるし、趣味に没頭できるので、大変便利です」と奥様。

念願の夢がかなって、喜んでいらっしゃるお二人です。

収納スペースはたっぷりと

「部屋を広くきれいに見せるには、家具を最小限にとどめることですね」とおっしゃる奥様。
遊んでいるスペースを活用して部屋の広さを変えず、収納量を増やす工夫をなさいました。
ユニークなのは、屋根裏の納戸と、玄関ホールのクローク。
屋根裏は、空きスペースをうまく活用するため、階段を設けて、3階建てに。
クロークはお客様専用。ちょっとしたアイデアが便利さ、住みやすさにつながります。
二重にハンガーパイプが取り付けられているので、衣類を効率よく収納できます。

また、仏壇の裏側や階段の下などの空きを利用して、小物を入れる収納スペースを確保。
その他にも寝室や洗面所などに、通常より広い側面収納を設置。。
台所はもちろん、システムキッチンを使用しています。

「全体に収納量が増え、以前より片付きの良い、広々とした家になりました。
安心してお客様を迎えることができます」と満足顔のA様ご夫妻でした。

マスダからひとこと

A様のご希望やご予算を考慮したうえで、増改築よりも新築をお勧めしました。 設計の段階から、何度も話し合いを重ね、ご希望に添う家づくりに最善を尽くしたつもりです。 とくに収納スペースの確保には工夫を凝らしました。

マスダが提案した、屋根裏を納戸にするアイデアは気に入っていただけたと思います。 またサッシは、通常のブロンズサッシではなく、ホワイトサッシにしました。 その結果、屋根や外壁などの色が自由に選択でき、モダンな外観がより引き立つことになりました。

新座市に初めて人類が住み始めたのは紀元前8,000年前

弊社は平成28年には、創業144年を迎えます。
埼玉県新座市に初代が根をおろしすでに140年以上の月日が経っています。

ではこの新座市という土地の歴史はどうでしょうか。
新座市商工会がまとめた新座市商工要覧からご紹介させて頂きます。

新座市の発祥は約1,300年前の新羅郡

大化の改新(645年)以前の新座市は、北の大和田地区と南の片山地区に和光市や朝霞市と同部族の小国があり、 大宝律令(701年)ができてからは奈良朝廷の力がこの地にも及び、新羅の国(今の朝鮮半島にあった国)から僧や尼74人を移住させて新羅郡(新座市を含む)を作りました。

帰化人による武蔵野の開拓

帰化人達は焼畑農耕により武蔵野内部まで開拓し、平安時代の初期から鎌倉時代末期まで比較的平和な農耕地として発展したことが推察されています。 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、武蔵野は、しばしば戦場と化したことについては、板石塔婆が新座市内にも多数残されていることから推察できます。

野火止用水による生活の安定化

江戸時代に入ると、川越城主となった松平伊豆守信綱は、玉川上水より野火止用水を引き更に川越街道の整備を行い信綱の子輝綱により岩槻にあった平林寺を新座に移転し変遷発展しながら明治維新を迎えました。

明治に築かれた自治の基礎

明治22年町村制施行により、大和田町、野火止村、北野村、菅沢村、西堀村を併せて大和田町に、 また、片山地区は、辻村、栗原村、堀ノ内村、野寺村、中沢村、十二天村下中沢村、下片山村、石神村、原ヶ谷戸村の10ヶ村を合併して片山村と改名し、自治の基礎が確立されました。

新座郡から新座市へ

昭和30年町村合併促進法により大和田町と片山村が合併し古い地名の新座郡にちなみ新座町となり、その後の発展により昭和45年11月1日市制を施行し現在にいたっております。

<現在の新座市>
本市は長い間の純農村から現在でが東京都の衛星都市として商工業に重点が移る傾向が強くベットタウンとしての性格をもった都市で人口は昭和40年から平成9年までの32年間に約4.3倍に増加しました。 なお、平成24年12月1日現在の人口は161,655人となっています。また事業所数は、昭和35年から平成3年の31年間に13.1倍に増加し、平成21年7月1日現在では5,206事業所となっています。

みなさんはお住まいの町の歴史をご存知ですか?調べてみるとまた愛着もわきますね。

五代目が語る創業140年DNAとして受け継がれる「心意木」①

5代目 増田眞一会長

増田屋から増田木材、そして増木工業への足跡を
5代目(現)増田会長に語って頂きました。

もともとの材木屋さんから、建設会社へと変化していく分岐点というのは?

明治5年、材木屋を創業。私で5代目、そして今の社長が6代目です。
戦後、4代目(増田会長の父)が製材業務をしていたんです。伐採したケヤキや杉を挽いたりして、製材と販売をしていました。

4代目は自分の所で製材したり、仕入れた木材がどのように使われていくのだろうとずっと疑問に思っていたんですね。 ただ納めたのでは面白くない、これをお客様に使ってみようという発想が強かった。 自分が建築工事をすれば一番よくわかる。そこで昭和42年に建設業の許可を取って建築請負サービスを始めたんです

  • 木挽き独特の大鋸

  • 製材を真剣に見る4代目

  • 4代目増田眞太郎氏

  • 玲子夫人

その時代から大工さんを束ねていたんですね

戦前、3代目は請負師のようなことをしていて、当時木造校舎を何件も請け負っていたんですね。 代目も継いでいったんですね。うまくいろいろなことが次の事業につながっていく時代だったんでしょうね。 そうして昭和40~50年、新座市にも都市化の波が押し寄せてきて、土地を購入して 建売住宅を始めたり事業を広げて行きました。

  • 増田木材 ヤママス印

  • 3代目時代の帳面

  • 当時の盛大な上棟の様子

  • こんなお供えも

昭和42年頃のMASUKIの住宅とは?

トラックには「健康と幸せ招く木の住まい」とPR

一般住宅には、当時贅沢だったケヤキなどの高級材を使ってあげたんです。 そうするととても喜んで下さってね。またものすごく腕のいい棟梁がたくさんいたんです。 材料と技術で非常にお客様に満足頂けた。それがお店の信頼となっていったんですね。

五代目が語る創業140年語り継がれるDNA「心意木」②

五代目の時代は?

都市化が進む中、地主さんの土地の有効活用など鉄筋コンクリート造・鉄骨造も手掛けるようになり、耐火建築物に参入していきました。駅前ビルや病院、保育園などの建築もどんどんさせて頂きました。

いろいろな事業をやっているのに木材を好きでいられるのはすごいですよね

4代目(父)の影響ですね。自宅の建築を宮大工(腕のいい棟梁)に携わらせたんです。
社長宅だからと材料も無地の上等な材料を使ったんですね。

すると廊下の戸走り(一番良く見える所)に、これを使えと渡した材料が、長尺で一部腐りが入っていたんですね。棟梁も首をひねって、私に「いいんですか。」と尋ねてくるので、4代目に尋ねると、

「そこに使うことでこの木は活きてくるんだ。ここに使ってやらなきゃ木が泣くよ。」

と言うんです。
すばらしいです。この感動と4代目の言葉は私の心に深く刻まれています。
これが私の木に対する深い愛情の礎ですね。そして受け継がれていくDNAになっていると思います。

  • 落成当時の新座市野火止にあります八幡神社。昭和45年に新築させて頂いた八幡神社の水屋を2012年に新築させて頂きました。

  • 現在の八幡神社

  • 2012年新築された水屋
    「四方転び」という柱の組み方などの伝統建築を、私共社員は再度学ばせて頂きました。

もうここまできたら材木屋さんでは・・・・

遊び心たっぷりの階段

材木屋のDNAが黙っていなくて、そういう建物にDNAを刻んだんですよ。

ココロイキね。ココロイキのキは木です。
心意木。

木の良さを伝えて木を使って頂く。木にはぬくもり・優しさ・暖かさがあるんですよね。

「木が好きです。木を使って下さい」というお客様がいて、階段を全部違う材料にしたんです。
アンバランスだけどそれがいいって。そういうお客様と出会うと木を使う仕事はおもしろいなと思いますね。

会長がこれから力を入れていきたい事は何ですか?

木材の倉庫を作って、銘木をたくさん集めて毎日眺めていたいですね。(笑)
木を好きなお客様がいたら、わかった使ってやろうと。そういう出会いを求めたいですね。
そんな出会いの連続だったらどんな人生が豊かだろうね。

増木のスピリットー4代目よりー3の①

4代目 増田真太郎氏

昭和61年、仕事納めに、4代目が社員に語った言葉
まさに増木のスピリットです。3回にわたって紹介します。

本年は円高構造不況の情勢の中に於いて、各自それなりに努力をしておおむね大運なく年末を迎えられる事が出来て大変喜ばしいと思う。どうもごくろう様でした。

長期間不況下にあった木材界、建築界も今年は130万戸台になるかも知れないという昨今で大変期待がもてる所である。然しこれは手放しで喜べない実情である。

それは木造の比率が、年々落ちて半数以上が、鉄筋、鉄骨、それに大手住宅会社のプレハブにもっていかれている。年々益々木造の比率が、それらに喰われてゆくのが実情である。

業界各種団体等で色々協議したり陳情や請願等をやっているが、仲々思うようには成果は望めない。とに角一番大事な事は自分の所は自分の力で開拓、努力していかなければこれからは消されてしまう運命にある。そこで当社では一大覚悟をして62年の新春を迎えるに当り、昭和62年度からといわずに今日から只今から大いに躍進発展の努力を開始して、お客様から絶大なるお引き立てをいただきその結果各自の生活にも大いにプラスになるよう全員火の玉となって邁進しようではないか!!一層の協力と奮闘をお願いする次第である。

以下特に気をつけてもらう点を申し述べるので是非かたく実行するよう重ねて要望します。本年は円高構造不況の情勢の中に於いて、各自それなりに努力をしておおむね大運なく年末を迎えられる事が出来て大変喜ばしいと思う。どうもごくろう様でした。

  1. (1)朝仕事に家を出る時は、各自それぞれ一つの夢、希望をだいて出掛けようではないか。
  2. (2)無気力、無挨拶、無言は当社の発展のさまたげである。
  3. (3)各自が、自分で自分の仕事を創り出す努力が大事である。
  4. (4)会社の発展の為に必要な良い考えや方法、発案、発明等はいつでも積極的に申し出て(口頭でも文書でも)提案してほしい。
  5. (5)無事故無違反は自分で守る。
  6. (6)当社の「作業のきまり」の徹底をはかること。
  7. (7)大企業には真似の出来ないきめのこまかいお客様のかゆい所に手の届くようなサービスに よって躍進が、出来るものと確信し断言し明言する。
  8. (8)以上の主旨を是非全社員が実行される事を希望し要望する。但しあくまでも強制しない。

当社の目標はお客様に絶大なる信頼とお引き立てをいただき、
おかげさまで会社が、発展向上し以って各自の生活が向上できことが念願である。

増木のスピリットー4代目よりー3の②

写真中央:4代目 増田真太郎氏 二列目中央:玲子夫人

(1)朝仕事に家を出る時は、各自それぞれ一つの夢、希望をだいて出掛けようではないか。
先ず大きな声で「お早う!!」帰りは今日自分がやるべき責任を果たした満足感をもって感謝の気持ちで帰途につこう!「お先に失礼!!」「どうもご苦労さん!!」
(2)無気力、無挨拶、無言は当社の発展のさまたげである。
明朗・快活・元氣でなければならない。規則正しい日常生活を心がけ、病気や怪我などの時はすかさず適切な処置をすること。
(3)各自が、自分で自分の仕事を創り出す努力が大事である。
自分も含めて周りの人は「みんなお客さんである」と思うこと。お客さんは見ぬふりしてみんな見ている。
(4)会社の発展の為に必要な良い考えや方法、発案、発明等はいつでも積極的に申し出て(口頭でも文書でも)提案してほしい。
即実行すべきことは協議の上早速とり上げ又内容が、重大な件に関しては充分研究討議して、これを積極的に活用して社業にとり入れたい。
これ等の極めて有効な提案者に対しては当社としては出来るだけ早く十分の功労賞を与えるものとする。この外、又特に会社に対し抜群の功労や名誉を与えた者も同様とする。

増木のスピリッツー4代目よりー3の③

上棟式の宝船と4代目増田真太郎氏

(5)無事故無違反は自分で守る。
(6)当社の「作業のきまり」の徹底をはかること。
特に当社の仕事に限っては、協力業者や外来の作業員も当社の「きまり」に同化させ 協力してよりよい作業を進行させる。
外来者の良い点をとり入れ悪習が入り込もうとしたら直ちに退治しよう。 
(7)大企業には真似の出来ないきめのこまかいお客様のかゆい所に手の届くようなサービスによって躍進が、出来るものと確信し断言し明言する。 
大手建設、住宅会社はその力をもって先の先までの計画や研究をやっている。
くやしいが今は小企業の当社としてはこの大ヂャンボ機に対抗するには全員が、小廻りの効く眞に精巧なミサイルとなってそれによって、大企業には真似の出来ないきめのこまかいお客様のかゆい所に手の届くようなサービスによって躍進が出来るものと確信し断言し明言する。
(8)以上の主旨を是非全社員が実行される事を希望し要望する。但しあくまでも強制しない。
当社の目標はお客様に絶大なる信頼とお引き立てをいただき、おかげさまで会社が、発展向上し以って各自の生活が向上できることが念願である。よって全面的にOKの者のみこれをかたく守って是非積極的に行動してもらいたい。反対の場合は自分から進んで退去すること。

以上簡単に要点を申し述べたが、来年の年末の反省会、そして次の年の反省会にはだれもが、
「ああ今年はがんばってよかったなー、来年はさらにもう一発やってやる」という事であってほしい。
三年後の64年末の反省会には実績を倍増の目標を達成しようではないか!!全員各族ともども良い年を迎えられん事を念願し祈念します。

ご苦労様でした。全員の発憤と成功を祈る。

こんな時こそヤママス音頭

お手拭きの包装に印刷されてお客様にお届けされた音頭です。
「旅行に行ったときなどにうたっていたよ!」と社長からお話を伺いました。
どんなうたなんだろう・・・・
曲がみつかりません
そこで「ヤレホニ」って何だろうと検索しますと
合いの手だそうです。
そしてたどり着きました。同じ韻を踏んでいる民謡
沖縄県 八重山 竹富島 「安里屋ユンタ」の新調節と韻が合いました。
すでに天の人の4代目には、作詞の思いは聞けませんが
発祥の地、竹富島のドキュメントより
きっと先々代が込めたであろう、思いを見つけることができました。

そもそも安里屋ユンタは労働歌の一種であり田植え歌として歌われたもの。
現在でも継承している竹富島「喜宝院 住職 上勢頭同子様」のことばを紹介いたします。
「‥‥中略、自分の心も相手の心もお互いに結び合ってがんばろうという、
その血と汗と色々な意味が含まれて作られています。
だからこれを歌うときは「生きる」という「生きてゆく」という力をもって歌って
いただきたい。本当に心の中から力強く歌っていってほしいな。
そうでないと本当の昔の人の心の、お腹から湧いてくる力が解らない。
だからうわべだけの歌ではダメなんです。
労働歌というのは、腹の底からぐっぐっと歌いこんでゆく
そういうので気持ちを強めて歌ってほしい。

先々代が思いをこめて作詞をする時代には、こうしてネットを通して
簡単にはるかかなた沖縄の情報がとれるわけではありません。
そう思うと、広く深い教養と、木を伐りだして家を建てることへの
熱い思いと社員への思いが込められているのですが、
素晴らしい詩だと思います。

ぜひ歌ってみたいと思います。
広報課 やまみち